About MoriokaZEBRA
創部は1957年。発足時のメンバーは盛岡第一高校サッカー部で八重樫茂生とプレーし、また工藤孝一の指導を受けた人が多い。
ゼブラはアフリカのサバンナにいるシマウマを例にとって「どんなに相手が強くてもチーム一体となって向かえば倒すことができる」という趣旨で命名された。日本の文具メーカーゼブラとの資本関係はない。東北社会人サッカーリーグ1部の名門チーム(第1回より30年にわたり在籍し続けている)で全国社会人サッカー選手権大会や全国地域リーグ決勝大会にも出場経験があり、スポーツ少年団や中学、高校などで監督、コーチとして指導する関係者など岩手県のサッカーを担ってきた多くの人材を輩出してきた。なおJリーグの監督経験もある三浦俊也も所属していた経験がある。
2005年からは盛岡市サッカー協会有志(ゼブラOBなど)とサポーターチーム「岩手レボリューション」による後援会が発足している。
2007年にチーム創設以来初の2部降格となってしまったが、1年で1部に返り咲き、2010年には11年ぶりの1部リーグAクラス(4位)入りを果たし古豪復活の狼煙を上げた。しかし盛岡商業全国制覇メンバーの藤村健友、成田大樹を獲得して臨んだ2011シーズンは5位、2012シーズンは新加入選手が当初ゼロという厳しい状況で低迷。
主なOBとして、上記の三浦俊也をはじめ平聡、根子達也、岸根邦博(以上は元東北電力~ブランメル仙台)、小川章(元読売クラブ)、河口義彦(元東芝)、宇南山岩男(元古河)がトップリーグからゼブラに入った。県内関係では日本サッカー協会1級審判員の佐藤秀明、岩手県の高校サッカーで全国大会の指揮を執った松田光弘、長谷川仁(共に遠野=2010年度時点)、太田浩史(2011年度から盛岡商業監督)、進藤祐一(2010年度から不来方)らもいる。
また、選手ではないが小笠原満男は中学時少年団の会長をしていた高橋孝志の勧めで盛岡ゼブラの練習に参加したことがある。ステラミーゴいわて花巻の創始者である吉田あゆみも1995年~1998年(高橋孝志第一次政権時代)に主務としてチームに携わっている。
上記のサポーターチーム「岩手レボリューション」は、近年熱狂的な一人一党的サポーターとして注目されている。過去にはブランメル仙台のサポーターをしていたことがある。
2012年からは「関東ゼブラ会」が発足(実態は東京23FCのサポーターの一部)。
History of ZEBRA
1957 |
盛岡第一高校、岩手大学のOBを中心に設立
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1970 |
遠野で開催された国民体育大会サッカー競技に選手を送る
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1977 |
東北社会人サッカーリーグ(当時は1部制)発足
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1980 |
同リーグ優勝
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1982 |
天皇杯サッカー本大会に初出場
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1995 |
東北社会人サッカーリーグ2位で15年ぶりの地域決勝出場
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1996 |
天皇杯サッカー本大会出場、岩手で初めての天皇杯開催(対富士通,0-6)
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2007 |
東北リーグ入れ替え戦でビアンコーネ福島に敗退、2部北ブロック降格
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2008 |
2部北ブロック優勝。再度ビアンコーネ福島と戦い勝利し、1部復帰を飾る
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